□ 情報に対する権利といわゆる「有害情報」 1997.10.4 by K.Tachiyama (Yamaguchi Univ.) |
はじめに――コミュニケーションの基本構造 ・「送り手」(=情報発信者)と「受け手」(=情報受信者)双方の必要性 ……「受け手」なしの情報発信の非現実性 ……「送り手」「受け手」どちらの立場もとりうる自由 |
1.キーワードとしてのインターネット |
1) 現代的言論状況の課題 ・「送り手」「受け手」の分離・固定化 ・情報の流れの一方向性……「送り手」から「受け手」への滔々たる流れ |
2) そのかけがえのない価値はどこにあるのか? 「パーソナルなレベルで運用可能でありつつ、その影響力・伝達力において、マ ス・コミュニケーションに匹敵し、『受け手』との双方向性が確保されている点 でそれを陵駕するメディア」……あえていえば、「異議申し立て」自由なメディ アとしての存在価値 |
3) 子どもの場合をどう考えるか? ・日本国憲法、子どもの権利条約、教育基本法から透視される「子ども」観 ……「保護の客体」ではなく、一個の・ただし未発達の「人権主体」 ……情報発信のトレーニングは十分か? ex. 子どもの権利条約12条① 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童 がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権 利を確保する。この場合において、児童の意見はその児童の年齢及び成熟度に従 って相応に考慮されるものとする。 ② このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の 手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しく は適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。 |
2.「有害情報」をどう考えるか? |
1)「有害情報」のカテゴリー ・法令に違背する情報 ・社会の「健全な」道義観念に反する情報 ・不愉快な情報 ・発達段階に応じてコントロールされるべき情報 etc. ……そのどれについても、定義の難しさがつきまとう ex. 国際人権規約B規約20条① 戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止す る。 ② 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、 法律で禁止する。 → 留保宣言を加えたとしても、ネットワーク上の情報に対して、他国からクレ ームがつく可能性はいくらでもある。 |
2)「有害情報」をどうコントロールするのか? 1) 法的な規制 ・刑事法的な規制……類型的に最も厳格な規制 ――要件・手続の厳格性 ――「刑罰の謙抑性」……刑罰は有効だが副作用の強い「劇薬」に相当するものだから、本当に必要かどうか、それでなくては効果的なコントロールができないかどうか慎重に判断しなければならない ――「精神的自由」の優越的地位 ・民事法的な規制……事後的・金銭的補償を中核とする ――「とりかえしのつかない被害」をどうするのか? 2) 社会的なコントロール ・いわゆる「自主規制」……公権力による規制を避けることはできるが……? ――いわゆる「社会的圧制」(J.S.ミル)への懸念 ――「カルテル的規制」への懸念→司法的救済の難しさ ・簡易・迅速・安価な紛争解決機関の必要性 |
3. レイティングに対する考え方 |
・原則:個人が個人の利用の便宜を図るかぎり、自由 国家によるレイティング――何らの法的効果をともなわなくても憲法違反 ……国家の中立性、「思想の自由市場」……「思想をして思想と組み打ちさせよ。 誰が真理の負けたためしを知るか」(ミルトン『アレオパジティカ』 ) ・利用強制の可否……原則として、憲法21条(表現の自由)、13条(幸福追求権)違反 例外的に強制が認められる場合(ex.刑務所)でも、施設の設置目的にてらして、その範囲は厳格に制限される (ex.逃走幇助、証拠隠滅、証人威迫等) 学校の場合――原則として、子どもと教師の「対話空間」確保のための手段と位置づけるべき ・利用推奨をどう考えるか(とくに、通信インフラ所有者・管理者による利用推奨) ……表現の自由に対する「萎縮効果」(chilling effect)の懸念 ……事業者等に対し、一定の表示を義務づける必要性 (ex.「事業者は、いかなる意味においても、このレイティングの利用を強制し、または推奨するものではありません」等) ・レイティング提供の自由……これもまた、一定の思想の表明にほかならない ex.「環境にやさしいレイティング」「性的役割分担を強調するレイティング」 「国際理解を損なうレイティング」etc. → 無価値・無意味なレイティングは「思想の自由市場」において淘汰されて当然 |
おわりに――「対話空間」としてのネットワーク |
・それぞれ善き生き方を追求する市民が共通の公的理由と公正な手続に準拠した自主的交渉と理性的議論によって行動を調整しあうフォーラム ・静態的な所与として実定法規と同一視されるのではなく、そのシステムにかわる法律家や市民の主体的な法実践によって生み出されるという動態性 |
立山紘毅@山口大学経済学部 |