講演1:江澤 義典先生
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「学習教材としてのインターネットとフィルタリングの必要性」

江澤 義典 (関西大学教授/情報倫理協会会長)

本日の第1回情報倫理シンポジウムは電子ネットワーク協議会およびインターネット 弁護士協議会の各々の代表の方々をご招待して、「インターネットにおける有害情報 について」の御講演をお願いしております。


インターネット技術は一部の計算機科学者や技術者の便利な道具として開発されたも のでありますが、最近はビジネスや教育など多様な分野における魅力的な情報通信メ ディアとして普及してきています。その結果、心ない利用者による有害情報の発信に、 善良な利用者が被害を受けない為の対策がインターネットにおいても緊急の課題とな ってきています。とくに、情報の受信者が一方的な被害者にならない方策としてフィ ルタリング技術が注目を集めているのです。


インターネットが1995年以降に急速に普及した原因の一つは、モザイク(Mosaic)とい うブラウザが無料でインターネットを通して世界中に頒布され、その便利さを大変多 くの人たちが共有できたことであるといっても過言ではないと思われます。そして、 ブラウザ機能は段々と増強され、いまや、ワークステーションやパソコンの機種に関 わらず、ほとんどのコンピュータでワールドワイドウェッブの利用が可能になってき ています。その結果、計算機科学者や技術者だけが研究の道具として使っていたコン ピュータネットワークが一般利用者までも含めた広い範囲の人々の共通の便利な「情 報通信メディア」になってきたのです。アメリカでは国内のすべての学校ですべての 生徒がインターネットにアクセスできるような施設を整備すると大統領が公約してい ます。日本国内でも、通商産業省および文部省の理解のもとに「100校プロジェクト」 ・「新100校プロジェクト」など学校教育へのインターネット活用を積極的に推進して います。


私は、情報処理教育の担当者として20年来コンピュータ技術の飛躍的な進展につきあ ってきていますが、1994年から始まった国内でのインターネット普及の急速な展開に は目を見張る思いです。大学教育の場においては、高校を卒業し大学に入ってきた学 生、しかも、コンピュータをみたこともさわったこともなく、電源の入れ方も知らな い学生に対し、キーボードの操作から始まり、電子メールやネットニュース・WWWなど インターネットの簡単な扱い方までを入学当初の半年くらいで教育しています。


このような教育の現場において、インターネット上には「いわゆる有害情報」が結構 流れているという事実が問題になります。これは、日本国内に限った問題ではありま せん。もちろん、インターネットの様な新しい技術が出現すると、それを悪用する犯 罪者が現れるものです。いわゆる有害情報としては、「子どもポルノ」・「人種差別」 ・「反政府組織による扇動」など多様ですが、それが一般的な利用者にとって有害で あるか否か、学校教育を受ける立場の生徒・学生にとって許容範囲に入っているかど うか、の判断は基本的には当該国の社会・文化に依存すると思われます。つまり、社 会によってその規範となる倫理基準が異なることを尊重しなければならないのです。


現代社会においては、表現の自由を尊重しながら、攻撃的な情報から善良な人々を守 る適切な手段が必要になります。もちろん、日本国憲法第21条において集会・結社・ 表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密が保障されていることを忘れてはいけません。 また、インターネットは電気通信技術を応用したものですから、そのコンテンツ(内 容)を公権力によって一律に規制する手段は避けなければならないと思われます。 しかし、同様に日本国憲法第13条において、個人の尊重・幸福追求権は国民の基本的 な権利として尊重される事が明示されており、個人は個人の責任で自己の幸福を追求 する権利があるのは当然です。インターネットの利用に当たって善良な市民が、一方 的な被害に合わないような手段が大切になると思います。


インターネットで発生する様々な出来事は、コンピュータ・ネットワークに特有な技 術的問題というよりは、通常の社会における問題と見なすべき課題が殆んどでしょう。 しかし、ポルノなどの猥褻画像問題はかなり微妙な問題を含んでいます。社会道徳な らびに社会倫理の問題とみなされるからです。見方を変えれば、われわれの社会を実 際に正しく運用していくためのモラル・倫理を、コンピュータ・ネットワークの上で 如何に実現していくかという技術的課題と考えられます。


これが印刷物ならばどうなるでしょうか。例えば、学校の図書館にて書籍を購入する 場合には書店に注文することにより当該の本を学校まで届けてくれます。このとき、 本の内容を吟味せず無作為に発注することはあり得ませんね。教員の立場から、読者 として想定される生徒に相応しい書籍を選ぶのですから。これらの選別手順は書籍に 限らず、映画やテレビでも同様です。本来的に、私たちは自分が利用する情報は自分 自身でコントロールする仕組みを作ってきたのです。もちろん、書籍を選ぶ基準をど のように決めるかは様々です。そのために我々は「書評」という文化を持っています。 誰かがある書籍を読んですばらしいと思ったら、推奨するために評論を書きますし、 読むに値しないと判断したら、その旨の批評を展開できるという自由な文化がありま す。映画については「映画評論」、テレビでは「番組紹介」として取り上げています。 このような公開された情報を基に我々は、書籍・映画・テレビなどの内容を予め吟味 して、その選択行動の基準にしているのです。


では、インターネットの場合にはどうでしょうか。インターネット上のホームページ を批評する「ホームページ批評」という文化が徐々に育ちつつあり、これを進めてい くのが一つ有望な方法となるでしょう。実際、インターネットでは「クールページ」 と呼ばれる推薦ホームページの表記法がありますが、有害なページもあります。例え ば、アクセスしただけで、パソコンのハードディスク内容が自動的に破壊される様な、 危険なプログラムを発信しているホームページもあるそうです。そのようなホームペ ージに最初にアクセスした人は不幸ですが、危険がわかった段階で、警告を多くの人 たちに報せることが重要になります。個人的に体験する事は確かに貴重ですが、社会 の全員が不幸な体験をするのは避けるべきでしょう。つまり、被害にあった等の情報 を積極的に公開し、善意の人達の協力によって悪意を持った人が作成するホームペー ジからの被害を未然に防ぐ知識を共有できる方策が有効になるのです。


インターネットはコンピュータのネットワークの上で様々な人達が様々な情報をやり とりしていると言う意味では無数の出会いがある場です。そこでは、予測以上の危険 があるかもしれませんし、実社会と同様な社会倫理が必要になります。危険に遭遇す るかも知れないときの対策としては、予めその情報を多くの人達と共有し該当するも のを「避ける」ことでしょう。保護者や教員が自分に関わる子ども達をネットワーク における不適切な情報から守るという共通の目的を設定したとき、相互に協力する仕 組みをネットワークの特性を利用して構築しようという試みは自然でありまた強力で す。


実際、ウェッブ(Web)の発想の根本は情報を共有する仕組みであり、誰もが簡単にネ ットワーク上で情報を共有する仕組みを簡単に構築できるのです。このような仕組み の構築が文化としてインターネット上で根ずくことで、さらにインターネットが社会 の基盤技術として活用できるようになると思われます。現実に、怪しげなホームペー ジへのアクセスをコントロールする仕組みとしてはフィルタリングソフトが有効です。 フィルタリングというのは、子ども達が様々なサイトの情報をアクセスする時に一定 のフィルタを通してアクセスするようにブラウザやパソコンの通信機能を設定する技 術です。すなわち、ホームページへのアクセスを受信者側でコントロールするという 発想です。


現代においては、表現の自由が社会で認められているので、例えば、ホームページを 作り情報発信を行う人には自己の信念に基づいて情報を発信する自由があります。し たがって、望ましくないと思われる内容であっても、その情報の発信自体を制限する のではなく、受信者側でアクセスする人自身がが自分の見たくないもの、自分に関係 した子ども達に見せたくないもの、学校教育の場に相応しくないもの等を自主的に回 避する手段が望まれるのです。


我々は、個人の自由を尊重し、安全な市民生活、快適な市民活動を行いたいとの根本 的な考え方を持っています。ところが、それを妨げるような暴力(武力による暴力、 言論による暴力)がある場合には、被害を受けないような対策が必要です。もちろん、 情報の世界では、そのような危険が直接個人の身体に及ぶことはありえませんが、自 己防衛の努力が個々の人に求められるのは当然であり、自分に関連した部分は自己の 責任で守るという仕組みが我々の社会の基本です。


ただし、社会組織としては、状況によっては個人的な対応では限界があり、警察や国 家機構に頼らざるを得ない面もあります。いわゆる、暴力団などが関係してくる場合 などです。いずれにしても、我々自身が市民としての自発的な組織化、いわゆる「草 の根的な活動」や「自警団」という形で我々自身の情報社会をより幸せなものにして 行く手段の開発・普及が望まれています。


インターネット先進国であるアメリカでは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のWWWコ ンソーシアムがフィルタリングの技術標準としてPICS(Platrform Internet Content Selection)を発明しました。そして、RSACi(娯楽ソフト諮問会議)やSafeSurf がそ れぞれ独自のレイティング基準(コンテンツ評価)をオンラインで提供しています。


国内では、電子ネットワーク協議会が1997年9月16日からフィルタリングソフトをイン ターネット上で無料配布を始めています。そして、レイティング基準もRSACiに準拠し た独自のものを公表されており、国内外の有害サイトについて具体的に評価したデータ ベースも公開されています。


フィルタリング方式としてはPICSが実質的な世界の標準技法になっていくと思われま す。一方、ホームページなどの内容を評価する基準は国家・民族・文化が異なれば違 っているのが当然であり、日本国内でも一元化するのは望ましくないでしょう。様々 な組織がそれぞれの立場で多様な視点からレイティングを行い、利用者の選択範囲が 多様である事が望まれます。


そこで、日本情報倫理協会では日本的な基準として人権問題に着目し、障害者問題・ 性差別問題・国際化による人権問題・部落問題・民族問題などのジャンルが必須の課 題であると考えています。日本情報倫理協会は、ホームページ(サイト)について自 由に批評できる仕組みだけでなく、倫理的な基準自体についても継続的にディスカッ ションする場を提供していきたいと考えています。


日本情報倫理協会は市民による非営利組織であり、ボランティア活動をベースとして います。この協会は1997年4月1日に発足し、5月に開催された「第1回コンピュータ犯 罪に関する白浜シンポジウム」で、その設立がアナウンスされました。 協会の活動は、当面は、インターネットに関連した情報倫理を主題とすることにして います。そして、5つの分科会をもうけて個別に活発な議論を行っています。


[1]ネット・PTA 分科会 学校教育現場におけるインターネットの有効利用を促進するためにも、いわゆる「有 害情報」の対策が必須の課題です。その場合、教員がそれぞれの立場で個々独立に創 意工夫するだけでは、実効のある対策にはなり得ないので、子どもの教育に深い関心 を持っている親の立場から、市民として学校教育に協力する組織です。
[2]HP(ホームページ)評価分科会 実際にインターネットで公開されている様々なホームページを、市民の目で評価・格 付け(レーティング)を行います。その情報は、インターネット利用者からの通報( レポーティング)をベースとし、インターネット上でのオンライン会議を元に、情報 倫理協会の責任でデータベース化し、一般の利用に供します。当面は、独自のレーテ ィング基準を作成し、電子ネットワーク協議会の技術支援のもとに評価データベース を公開し、学校現場などの実務者に役立つ情報を提供する予定です。
[3]ネットパトロール分科会 インターネットでは様々な有害情報が発生するので、タイムリーな対応が大切になり ます。そこで、この分科会メンバーはネットワークのパトロールを担当致します。
[4]国際連携分科会 インターネットが国内だけの通信メディアに留まらず、世界規模のネットワークであ ることから、有害サイトのフィルタリングなどは世界規模で考える必要があります。 一方、日本国内固有の問題は外国の組織に対応を委ねるのは無理があり、国内での対 処が求められるでしょう。その場合でも、余りにもローカルな対応をしたのでは、普 遍性に欠けることになりますので、常に国際連携を意識した国際標準方式を採用すべ きです。その意味からもMITで開発されたPICSに準拠しているフィルタリング方式を活 用するのが順当であると考えています。
[5]倫理普及・啓蒙分科会 協会の活動はインターネットをベースにしていますので、オンライン会議が多いので すが、一般に広くこれらの活動をアナウンスする目的で「シンポジウムの開催」や「 各種ジャーナリズムへの協力」など情報倫理活動の普及・啓蒙を担当しています。


フィルタリングソフトがインターネットの有害情報対策として有効である事を示し、 実質的な世界標準技法として各国で採用されている事を御紹介しました。しかし、フ ィルタリングシステムにも弊害はあります。それは、安全性を求める余りレイティン グ結果を過大に評価するようになり、各自が「自分で判断するという基本的合意」を おろそかにする可能性が無視できない点です。インターネットを市民が安心して散策 するためのガイドを市民の手で作成し、共有してこそ、明るいネットワーク市民社会 が築ける事を忘れてはならないとおもっています。